🇯🇵 × 🇩🇪 1861年から続く友好関係
二つの国、ひとつの信念:ものごとを正しく行うこと。
日本とドイツは165年以上の歴史でつながっています。長崎の小さな交易の島・出島で活躍したドイツ人医師から、経済・学術・文化における緊密なパートナーシップまで。QkSkimaはその関係の真ん中にいます。ドイツ人チームを擁する日本企業として、この歴史が始まった九州で活動しています。
1861年
日普修好通商条約
165年+
共に歩んできた歴史
7〜8時間
時差 — 私たちの強み
歴史
歩みをたどる
両国が互いに影響を与え合ってきた瞬間を、簡単に振り返ります。
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1690
出島のドイツ人医師
エンゲルベルト・ケンペルは1690年から1692年まで、当時日本が世界に開いた数少ない窓口のひとつである長崎・出島に滞在しました。没後に出版された彼の日本誌は、100年以上にわたりヨーロッパの日本観を形づくりました。
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1823
シーボルトと鳴滝塾
ヴュルツブルク出身の医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが長崎に来航し、1824年に鳴滝塾を開いて日本の門人に西洋医学と博物学を教えました。多くの門人が日本の近代医学の先駆者となりました — 私たちが今働いているのと同じ九州での出来事です。
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1861
修好通商条約
フリードリッヒ・アルブレヒト・ツー・オイレンブルク率いるプロイセン使節団が、1861年1月24日に江戸で修好通商条約に調印。両国の公式な関係の始まりです。
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1889
近代日本の手本
明治期の日本は近代化にあたりドイツを大いに参考にしました。1889年の大日本帝国憲法はプロイセン憲法を手本とし、医師エルヴィン・ベルツをはじめとするドイツ人教授が東京で教鞭をとりました。「カルテ」や「アルバイト」といった言葉は、今もその時代を伝えています。
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1918
板東の「第九」
人道的な運営で知られた四国・板東俘虜収容所のドイツ兵捕虜が、1918年6月1日、ベートーヴェンの交響曲第9番を日本で初めて全曲演奏しました。今や「第九」は日本の年末に欠かせない存在となり、鳴門市はリューネブルク市と姉妹都市です。
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1952
新たな出発
20世紀の混乱と苦難を経て、日本と西ドイツは1952年に国交を回復しました。両国は民主主義国家・工業国家として再建を果たし、緊密なパートナーとなりました。
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1960年代
ライン川のリトル東京
デュッセルドルフはドイツにおける日本人コミュニティの中心地へと発展しました。日本企業や日本人学校、日本食レストランが街並みを彩り、「日本デー」には毎年数十万人が訪れます。
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2023
初の日独政府間協議
2023年3月、東京で初の日独政府間協議が開催されました。経済・安全保障・技術の分野で、両国が今いかに緊密に協力しているかを示す出来事です。
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2025
私たちの章
北九州にQkSkima株式会社を設立。ドイツ人開発チームを擁する日本企業として、毎日二つの世界をつないでいます。
拠点選び
私たちが日本を選んだ理由
この拠点は妥協の産物ではなく、チームのため、そしてお客様にお届けする品質のための意識的な選択です。
01
高い生活水準
治安の良さ、優れたインフラ、充実した医療、そして分単位で正確な鉄道。日本には、良い仕事に集中できる生活水準があります。ここで暮らすことを楽しむ人は長く定着し、お客様のシステムに関する知識も一緒に残ります。
02
時差という強み
日本はドイツより7〜8時間進んでいます。ドイツで夜が始まる頃、私たちの一日が始まります — ドイツのお客様が眠っている間にProductionの指示に対応し、始業前に結果をお届けします。
03
賢い拠点選び
東京やミュンヘン、フランクフルトといった大都市に比べ、北九州のオフィス・住居コストは手頃です。そのため資金を高い家賃ではなく、お客様にとって本当に大切なこと — 経験豊富なエンジニア、充実した設備、継続的な研鑽 — に投じることができます。
04
ものづくりの文化
北九州は日本の近代産業発祥の地のひとつです。1901年に官営八幡製鐵所が操業を開始し、今も安川電機やTOTOといった世界的企業が本社を構えています。精密さと丁寧さを重んじるこの文化は、私たちにも息づいています — ドイツのエンジニア教育と日本の品質へのこだわりの融合です。
私たちをつなぐもの
共有する価値観
職人技とものづくり
ドイツのマイスター精神も日本のものづくりも、細部まで考え抜かれた製品への誇りを大切にしています。
信頼性
時間を守り、約束を明確にし、それを果たす。日本でもドイツでも、信頼性は決まり文句ではなく、あらゆる協働の土台です。
改善と徹底
継続的な改善とドイツ流の徹底さは互いを補い合います。まず丁寧に理解し、そして一歩ずつ良くしていく。
共通の課題
少子高齢化、人材不足、産業のデジタル化。両国は似た課題に直面しており、互いに学べることがたくさんあります。
未来へ
この関係をこれからどう育てるか
この友好関係の次の章は、政府だけでなく、人と企業の日々の協働の中で書かれていくと私たちは信じています。
時差を強みに
ドイツが眠っている間、日本が働く。うまく組み合わせれば、時差は両国にとっての強みになります — 24時間止まらない仕事です。
知識を共有する
カンファレンスやオープンソース、共同プロジェクトを通じて、両国のエンジニアの交流がもっと増えることを願っています。私たち自身もPagedoctorを通じて知識を発信しています。
企業の架け橋に
言葉と文化は、しばしば最大の壁になります。私たちは日独の企業が技術的にも人間的にも理解し合えるよう、お手伝いしたいと考えています。
次の世代へ
学び、働き、根を下ろすために、もっと多くの若い人が相手の国へ踏み出してほしいと願っています。私たち自身の歩みが、そこから得られるものの大きさを物語っています。
私たちの願い
これからの165年、日本とドイツが互いを高め合うパートナーとして、さらに深く結びついていくこと。良い仕事、誠実なコミュニケーション、そして両国の文化への敬意をもって、私たちも毎日その一端を担いたいと思います。